最近、私なりにわかってきたことがあります。
それは「苦労して頑張ることが本当に大切だとは限らない」ということです。
私は子どもの頃から、真面目な両親の教え通り、「頑張ることは良いことだ」「苦労してこそ得られるものがある」ということを信じてきました。
高校受験のときも、私と同じくらいの成績の友達が、推薦入学で早い時期に合格していたのに対して、私の親は「推薦入学で高校に入るよりも、勉強を頑張って試験に合格してこそ価値がある」というような考えでした。
私は入学試験のためにひたすら勉強を頑張りました。
そしてできるだけ難しい高校に行くことこそが価値のあることだと思い、そんな高校(進学校)を自ら選びました。
今思うと、その高校に入学すれば周りから褒められる、すごいと思われる・・という気持ちが強く、そうでなければ自分が評価されないような劣等感があったのだと思います。
でも高校に入学してからは自分よりも成績の良い人ばかりに囲まれ、どんどんやる気をなくし、成績は下がっていきました。
そんななか、推薦で高校に入った友達は、また推薦で大学入学が決定。
私は現役で大学に合格できず、1年間予備校に通って大学に入学できたのでした。
その後友達は、大学で学んだ後しっかり就職し、趣味も楽しみ、友達もたくさんいて楽しそうに人生を歩んでいます。
私も大学を卒業して就職することができましたが、これまでの経験からいろんなことを考えるようになりました。
高校や大学入学のために推薦を受けたって良かったんじゃないか・・
苦労すればいいってものでもなく、要領良く人生を歩んでもよかったのでは・・
難しい高校に入ったからといって、その一瞬はみんな褒めてくれても、その先は自分の問題なんだ。
そもそも、周りと違うことをして評価されようなんて思わなくてよかったんだ・・
私の変な意地やプライドで、進学校に進みましたが、周りの仲の良い友達は、地元の高校や大学へ進み、勉強も趣味も友達関係もとても充実している人が多かったのです。
私もこうすればよかったなぁ・・
そしたら勉強で挫折することはなかっただろうし、それ以外のことも楽しめたはず。
自分の経験を通して、私は自分の子どもには同じ思いをさせたくないと考えるようになりました。
勉強が好きで本当にやりたいならやったらいい。でもそうでもないなら、やりたいことにつながる学校へ行ってほしい。
これまでの自分の選択があったからこそ、今の私がいてこんな気づきができたのだと思うし、親は親なりに最善のアドバイスをくれたはずなので、それらを否定することはしません。
でも、せめてこれからは違う考え方で進んでいってもいいのかなと思います。
(大好きな南城市グスクロード公園にて)
今の私なら、苦労して頑張る道より、ラクして楽しむ道を選びます。
仕事でも家庭でも、自分や周りがラクする方を選ぶと、みんなの肩の力が抜けてご機嫌になります。
そして笑顔や会話が増えて、スムーズに行くことが多いのです。
「人はみんな楽をしたいのだ」ということを自他ともに認めると、世の中いろんなことがうまくいくと本気で思っています☺︎